ウィークリー・メッセージ 201530

 

小さな種から多くの実り」

 

 中島町教会担当司祭 イルダラヤージ・アントニサミー        

 前、インドのある海岸に高波が押し寄せました。多くのヒトデが渚に打ち上げられました。次の日にはたくさんの人が様子を見に来て、ヒトデは次々に踏まれて死んでしまいました。そんな中で、一人の男の人が一匹、二匹ヒトデを手に取って海に投げ返していました。それを見た人が言いました。「何をしているのですか。この渚にヒトデは何千もいるのに、一匹、二匹海に返してどんな違いがあると思いますか」。男の人はもう一匹ヒトデを投げながらこう言いました。「この一匹が確かに大きな違いを生むと思います」。

 マタイによる福音で弟子たちはイエスに「群集を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう」と言いました。そこでイエスは言われた。「行かせることはない。あなた方が彼らに食べ物を与えなさい。」また、今日の福音書ではペトロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんな大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」。(6:9)これを聞いたイエスは少年を呼んで「空腹の人々に食べ物を与えたいので、持っている物を貸してくれませんか。」少年はイエスを信じて五つのパンと二匹の魚を差し出しました。そして、受け取ったイエスが何をしたかは皆さんよく知っているはずです。一人の人でも状況を変えることはできると思います。まして、二人なら尚更です。それは私とイエスです。
 イエスは少年からもらった物を空腹の人々に分け与え、すべての人を満腹にしました。もし、少年が持っていた物をイエスに差し出さなかったら、今日の福音の徴も行われなかったかもしれません。イエスの言葉を思い出してください。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。(12:24)一人は一粒の麦で大きな徴の楽器です。神が世界を創ったとき、私たち誰もが楽器を奏でるようにしました。
 弟子たちは大勢の群集のことを考えて、暗くなる前に村に行って食べ物を手に入れることが大事だと考えました。だからイエスに「群集を解散させてください」と言いました。イエスは「あなた方ができることをしてください」と弟子たちに答えました。皆さん、私たちも弟子たちのように貧しい人、病人、戦争で苦しんでいる人、地震や高波で家、家族を亡くした人たちのため、また、平和のために祈っています。とてもいいことです。でも、それだけでは足りません。私たち一人ひとりにイエスは言っています。「あなたができることをしてください。」弟子たちは五つのパンと二匹の魚だけでは足りないと思いました。もちろん、私たちが今持っているものを全部出しても世界中の困っている人々を助けることはできません。それでも、できるだけ、できる限りのことをするのが大事です。少年がイエスに差し出したパンと魚によってこの大きな徴が行われ、たくさんの人が食べることができました。一人でも世界を変えることができるでしょうか。渚でヒトデを海に返した人は違いが起きると言いました。少年が五つのパンと二匹の魚をイエスに差し出したので大きな徴が行われました。

 ごミサでイエス・キリストのご聖体をいただいています。私たちの命のパンです。イエスが私たちに願っているのは、空腹な人々のためにできることをしてください、ということです。中にはこんなふうに思う人もいるかもしれません。私は物も少ししか持っていないし、力も才能もありません。だから、それらをたくさん持っている豊かな人たちがしたら良いと思いますと。確かに、私たちにできることはからし種みたいに小さいことかもしれません。でも、地に蒔けば成長して大きな木になります。鳥がその枝に巣を作ります。神様は私たちが差し出すものを祝福して多くの人に与えられます。

 たとえば、インドのカルカッタでのマザー・テレサです。彼女はキリストの教を行いで知らせました。愛の力を見せました。彼女が見せた一つの方法は、愛を津波のように世界全体に行き渡らせることができるということです。それには最初の一人が重要です。私たちが持っている物をイエス様と分かち合うなら、私たちを超えて途方もない夢を実らせることができると思います。私たちがいただいているギフト、才能、賜物をイエス様の作品のために捧げれば、イエスはこれらによって奇跡を起こしてくださると思います。今日の福音は分かち合う大切さを教えています。

 

<フェルナンド神父の記事「尽きることのないイエスの憐み」に行く 西川助祭の記事「年間第18主日」に行く>

ウィークリー・メッセージ目次に戻る

トップページに戻る