ウィークリー・メッセージ 20156

年間第4主日 生活の中で

 丸亀教会担当司祭 フェルナンド・マヨラル

 日の福音を読み、私はすぐに、二人の教皇様の言葉を思い出しました。

その一人は、教皇パウロ6世です。「現代の人々は、ただ一方的に教える教師よりも、教えと同時に、それを行動で示す教師に強く心を惹かれます。また、どんなに素晴らしい教えを聴いても、その教えが行動とならなければ、何にもなりません」という言葉です。

もう一人は、ヨハネ・パウロ2世です。彼も、教皇パウロ6世と同じことを語っています。「現代に生きる人々は、教師よりも、み言葉を身をもって証しする人を信じます」と。

 口先だけの言葉や理論をいくら説明しても、行いがそれに伴っていなければ、信じることは難しいです。その反対に、その人の言うことが、そのまま行動に表れていれば、まっすぐに、その人の語ることを信じるようになるでしょう。

 今、私たちに求められている宣教とは、何でしょうか。至る所でキリストの福音を伝え、それが豊かに実っていくように、私たちキリスト者がなすべき宣教とは、何でしょうか。私たちが人と出会うのは、毎日の生活の中です。日々の生活を通して、心に響いた主のみ言葉を、私たちが行いとして証しするように努めることは、最も大切な宣教だと思います。
 
 キリスト信者は、毎日曜日ミサに与かり、み言葉に耳を傾けます。しかし、私たちの生活そのものを、その証しとして、目に見える形で表さなければ、いくらキリストのみ言葉を聴いても、いくらキリストのことを語っても、み言葉はいのちを持たない、ただの虚しい言葉にしかすぎません。

 日本の社会では、カトリック信者はとても小さな群れです。社会という大きな群れの中で、この小さな群れは、毎日の生活を通して、どのようにみ言葉を証しし、捧げ生きているでしょうか。イエス様は、忍耐、赦し、優しさ、暖かさ、強さ、連帯、謙遜、寛大さ、祈り、きょうだい愛を持って、いつも私たちの心に寄り添ってくださいます。そして、私たちの心にも、主と同じ心が響いているはずです。

 キリストが私たちの所に来られたのは、御父の持っているその心を、私たちに伝えるためです。そして、主はご自分の行いを通して、十字架の極みに至るまで、御父のみ言葉を証ししました。父である神様が、独り子イエス様に託したその思いを深く心に留め、生活の中で、主がなされたように、み言葉を証し伝えていくことは、現代社会に生きる私たちの大切な福音宣教という務めではないでしょうか。


丸亀教会 フェルナンド・マヨラル

 

硫黄神父の記事年間第3主日に行く ホルへ神父の記事「年間第5主日」に行く>

ウィークリー・メッセージ目次に戻る

トップページに戻る