神の母マリア祝日ミサ説教

2011年1月1日
於:桜町教会

 400年前のキリシタン時代の正月について話をさせてください。当時の日本の教会は日本の行事とか祝祭日,これを積極的に取り入れようといたしました。例えば,盆とか正月とか祇園祭とか色々なものを取り入れて,そこにある迷信的なものをキリスト教の意味に変えていこうという試みをしています。
 その最たるものが正月ではなかったかと思います。日本の正月と西洋の典礼暦には,少し問題がありました。日本は陰暦でして,西洋暦に比べたらだいたい一ヶ月半ぐらい遅れることになります。正月が西洋暦の2月の上旬から中旬にかかりますと,教会の暦では,灰の水曜日とか四旬節にかかってくるということがあります。そのころの教会は,断食とか苦行ということに関しては今よりもずっと厳しい教会でした。正月のお祝いをする時に四旬節にぶつかるとどうなるのだろうかということが,一番最初の問題でした。さらに,松飾り,しめ縄,かがり火あるいは供えのお餅とか,これをどのように考えたらいいのかという議論をしています。
 結論的にはこういうことです。正月をキリスト教化することを試み,正月が持っている意味をキリスト教として高めていくことが基本の精神であるということで「裁決」という本が出されています。1580年の「裁決」では正月をキリスト教化するという決議をしています。
 その中で4つぐらいのことが書かれています。第一番目は信者さんに向かって正月を安心して祝ってよいということを伝えます。正月をまず大事にして,例え四旬節であっても構いませんということを言っています。
 さらにこの正月を単なるお祝いにしないで,マリア様の祝いに変えて,正月を「お守りのサンタマリア」という祝日に決めました。当時の日本教会は,聖人の祝日とかマリアの祝日とかを増やさないとしていました。ヨーロッパにはたくさんの祝日があり,ごちゃごちゃして暦になっていることもあり,日本の教会ではキリストの祝日を中心とした祝日のみに限定しました。これに,ほんの少しマリア様のお祝いを加えました。聖母被昇天とそれから正月に「お守りのサンタマリア」と残し,後は全部無くしたのです。正月を祝日とし,全ての苦行を無くし,全く祝いの雰囲気に変えるということを決めています。
 三番目,この「お守りのサンタマリア」の典礼は,9月8日の「聖母マリアの誕生」の典礼を採用しました。正月と聖母マリアの誕生,そこからキリストが生まれて救いが始まると考えていました。だから,正月はマリア様の誕生を祝う日とすることが一番良いという結論を出しています。
 それから四番目ですが,その正月の祝いが四旬節の主日になったり,あるいは水曜日,金曜日の断食の日にぶつかったりする時には,その正月の3日間は断食の義務がないと決定しています。この決定は,非常に日本人に喜ばれまして,積極的にしめ縄とか供えの餅という意味をみんなで話し合って,それをキリスト教的に変えていこうとしました。これを変えていくために正月に舞を踊る試みをしました。普通,日本の社会で祝いには舞を舞うということがありましたが,これをキリスト教的な舞にして,マリアの誕生とキリストの誕生にあわせて創作劇をつくりました。
 さらに,みんなが数珠を持って参拝します。当時のロザリオは今のように10個ずつに分かれていなくて,全部くっついていて数珠の形をしていました。下に十字架が付いていて,数珠のように鳴らすということもできました。ロザリオを唱えながら,数珠を鳴らすような仕草もできたのです。
 それから御絵ですが,当時神社などに行くと,絵を描いたものあるいは字を書いたものを貼り付けるという習慣がありました。教会ではそれを御絵あるいは聖書の文章を書いた上で貼り付けていくということにしました。
 普通の日本の社会で行われたものを,こういう形でキリスト教化しながら,その意味を伝えていきました。正月2日間は,親戚又は知人の家を回るという習慣が日本にあり,数珠あるいはロザリオを持って自分の親戚の家を回って正月参りをしました。
 ここまで考えますと,私達は色々な事を教えられます。400年前の教会がこうやって真剣に日本の社会に浸透しようとしたという努力は評価して良いのではないでしょうか。

 NHKがドラマにしているので,「坂の上の雲」という司馬遼太郎の文庫本8巻を私は読み終わりました。最後の方は何がなにやらさっぱり分からないで終わりましたが,一つのことが非常に印象に残りました。旅順の戦いで,乃木希典大将が旅順を真っ正面から攻めて,結局自分の部下を半数以上失ってしまったということがありました。たまりかねて,児玉源太郎が真正面から攻めるのをやめて203高地を攻めようという結論を出して,まっすぐな乃木大将に向かって戦争は横からするものだという話をしています。もう一つの戦いは奉天の戦いで日本軍は七軍に分かれ,主要部隊を真ん中に据えて,右と左に騎兵隊または砲兵隊をつけて,右を攻めさせて相手が右に移ってくる時左から騎兵隊を出させてまた左に移させるといういわゆる陽動作戦で相手の軍勢を散り散りバラバラにさせました。それができあがった時真ん中から攻めるということを,児玉源太郎が考えて実施して,実際は旅順も奉天の戦いも一応日本の勝利に終わるということで話を終えています。
 考えてみますと,私達も多くの場合,まっすぐに攻めても仕方がないことが沢山あるのではないでしょうか。陽動作戦ではないけれど,裏に回ったり右に出たり左に出たり色々な形をとりながらキリストの福音をきちんと伝えていく方法がある。しかも嫌われないで行う事ができる。今日の祝日の中で,日本の社会の中でどのように浸透していくかということを真剣に考えないといけない。それを,まっすぐ真正面から振り下ろしても仕方がないことが沢山あることです。色々な形でのものを受け入れて,そしてそれをよりよくキリスト教化していく努力をしていくこと,公現の祝日にあたってこんなことを日本教会の歴史が教えてくれています。

    ※司教様チェック済み