四旬節黙想会講話

2005年2月13日
  於:番町教会

 今日の黙想は「感謝」ということを基に据え「短かい祈り」というテーマで最初の話をさせてください。あとは静かに自分で黙想してまた戻ってきて下さい、その間に赦しの秘蹟を受けたいと思う人は私はいますので、どうぞ、ご自由にご利用ください。

1.ベラハーの祈り
 まず、旧約聖書の中に、「ベラハーの祈り」というのがあります。「ベラハー」とこの言葉を覚えてくださればよいと思います。詩篇をよく教会では唱えます。「教会の祈り」は詩篇ですし、ミサの中では答唱詩篇がありますし、今典礼の聖歌は詩篇を歌っております。だから詩篇の基礎に流れているのは「ベラハーの祈り」ということです。
 「ベラハー」とはなんでしょう。感謝とか贈り物という意味、これがベラハーです。ですから、贈り物に対して感謝する、もらったことに対して感謝する、これが「ベラハーの祈り」ということです。ですから詩篇の中に流れているのは、神様が下さったことに感謝しますよ、ということです。これを考えてみたら、詩篇を中心として教会の祈りが組まれているということ、詩篇を中心としてミサが組まれているということ、これは全部感謝だということです。感謝の祈り、或は感謝の祭儀、というふうに言われます。教会はこの「ベラハーの祈り」、教会の祈りの中で、詩篇というのを大事にしました。即ち私たちが感謝する心というのが宗教心の最初です。或は祈りの根本と言ってもいいと思います。教会の中で胸をはってお御堂の一番前に行って、私はこんな善いことをしましたと言ったパリサイ派は義とされず、一番後ろにいて頭を下げて赦して下さい、あなたがこんな事をしてくださったのにというお祈りをした罪人が赦されて帰って行った、というイエス様のお話を思い起こしてくださればいいんじゃないでしょうか。
 教会は今、信者の皆さんにも教会の祈り、詩編を中心とした祈りをするようにとお奨めしております。多くの教会では教会の祈りを一緒に唱えたりしております。私の知っている仙台の教会でも必ず毎日一緒に夕の祈りを唱えて聖体礼拝をしている教会があることも私は知っております。

 「ベラハーの祈り」というのは非常に短い祈りなんです。感謝するという祈りはやさしいお祈りだということですね。旧約聖書の中でこの「ベラハーの祈り」というのはどういうふうに語られていったんでしょう。
 エジプトで奴隷の身分であったイスラエルの人たちが神様の手によって救われて、40年間砂漠を歩きまして、それから乳と蜂蜜の流れるイスラエルに辿り着きます。神様が導いてくださったこと、これを感謝する。これが「ベラハーの祈り」です。エジプトで奴隷の状態であった、そして今自由になった、その喜びを感謝する、選ばれたことへの感謝、それが、「ベラハーの祈り」です。
 私達に当てはめて考えてみましょう。皆さんは、或いは私達はどの時点で信仰に出会ったのでしょう。今までの50年、60年、70年の人生、80年の人生で、どんな紆余曲折を過ごしてきたことでしょう。配偶者との出会いがあったでしょう、結婚式があったでしょう、子供を産んだでしょう、子供との問題を抱えたかもしれません、転勤転勤で新しい土地を転々としたかもしれません、積み重ねがあって今の私が今ここにいる。この人生を振り返ってみた時に「ベラハーの祈り」、あなたが導いてくださったと言えるかどうかですね。頭を垂れてあなたが導いてくださった、感謝と。
 いろいろなことがあります。人それぞれ違うと思います。別れもあったでしょう、大きな過ちを犯したかもしれません、心ならずも家庭を離れたかもしれません、離縁されたり、離婚したりしたかもしれない、全部を含めて今ここに私がいる、私はその事のために何を感謝するのでしょう。
 必ずしも、よい事ばかりではありませんでした。辛い人生もありました。本当に恥ずかしくなるような自分の過ちもありました。その中で今、あなたの導きの手の中にいると信じる。これが「ベラハーの祈り」です。エジプトからシナイの山を通って導いてくださったその紆余曲折の人生の中から、あなたが乳と蜂蜜の流れる所に導いてくださった、その時に捧げた祈り、これが「ベラハーの祈り」だったのです。だから人生のこの感謝の原点をこの黙想会で今、自分がどのへんに居るかを少し見極めてくださいますか。まだ、心の奥底で煮え繰り返っているような怨念に駆られているか、或いは人生の色々な事を経ながら清められている自分に気付いているか、神の前に頭を垂れる謙虚になっているか、あるいはまだ、ごり押しに自分の物の見方を人に押し付けているこのような状況にあるのか、黙想会とはちょうどこんなことを考えるためにあるのです。自分がどのへんにあるのかをゆっくり考えて、その中から「ベラハーの祈り」、あなたが私の人生を導いてくださった事、感謝しますということがいえればよいのです。

2.選ばれた民の祈り
 さらに旧約聖書を読みますと、エジプトでは鴨居に羊の血を塗った、その家を天使が過ぎ越していったと伝えています。鴨居に羊の血が塗られなかった家には天使が入って行ってその家の男の子を殺していきました。過ぎ越していった、これが「パシャー」と呼ばれることです。神様が印をくれたから過ぎ越していって、新しい土地に導かれていかれたことを祝うのが過越祭です。
 過ぎ越していった所から救いが始まります。エジプトという奴隷から救われて自由の民族になっていくのです。
 私達は教会を作っています。私達は洗礼を受けている、それは印を受けたということなんです。天使が「パシャー」過ぎていったんです。過ぎていった間に私の中に新しいいのちが始まっているのです。
 でも、選ばれた民だとか、教会の人と言ったって私達たいしたことはありません。どう考えても私たちは聖人君子ではない。性格がいいかどうかもよくわからない。多くの場合、教会にいる人たちは性格の悪い人達が多いと、いうことを言う人がいます。神父なんて一番いい例で、神父ぐらい性格の悪いのはいないとも言われます、ましては司教はという事になります、私たちはあんまり偉そうな事を言えるわけではありません。教会は決して聖人君子の集まりでなく、欠点の多い、どうしようもない人間が集まっている。でも、教会に来ている人は「パシャー」なんですよね。過ぎ越していった、選ばれた人たちなんです。
 この選ばれた事のために「ベラハーの祈り」感謝の祈りを捧げなさいといわれます。
 選ばれるということは、どういうことでしょう。私がどうして教会に来ているのでしょう。どうして洗礼を受けているのでしょう。なかなか分かりにくい。私自身も振り返ってみますと、もしも教会に行ってなければ、もしもあの時に洗礼を受けてなければ、もしも、カトリックのミッションスクールに行っていなければ、今の道は絶対無かっただろうと思う、もしも、ということがあるとしても、神父になるなんて事考えもしなかったし、司教になって四国に来るなんては夢のまた夢だっただろうなと思います。
 私の人生は誰のためにあるのでしょう。誰のために。どのようなことのために。たぶんこの人たちのために、この事のためにとは、60年70年経ってやっと気付く事なのでしょう。があるんです。その時に感謝する、頭を垂れるということが始まります。
 ミサにあずかる前に、私は誰の為に今日ミサにあずかろうと思ってあずかっているでしょうか。誰を愛しているのでしょうか。だれを憐れんでいるんでしょうか。誰のために。大事なポイントが今、出されています。私たちが選ばれたのは、人のために選ばれているということです。人に奉仕するためになのです。人に奉仕することを意識した時に、今日のミサはこの人のために、今日のミサはイラクのあの子供達のために、こういう意向をはっきり持ってイエス様と一緒に自分を捧げていく、これがミサです。聖人君子になるためではありません。いくら教会に来てもあなたは性格の良い人にならないのです。絶対になりません、悪くはなってもよくはならないと言えます。でも、あなたは人のために祈る、人のために自分を捧げるということができる。これが洗礼を受けた意味なのですよね。即ち感謝して生きることができる人間になるということです。
 その反対はいつも不平不満、侮りが支配していることです。そこには失意と落胆ばかりが起こると思います。どうして、よりによって私がこの女性と結婚したんだろうかとか、よりによって何でこんな酒飲みの男と結婚したんだろうかとか、言えば限りがないんですね。よりによってなんでこんな子供が生まれて苦労しないといけないんだろうかとか、こんな学校に入るはずじゃなかったのに、もっといいところに入れたんじゃないかとか、こんな会社でろくでもない仕事しても仕方がない、不平不満がいっぱいで建設的でありません。教会に関しても、生ぬるい人たちと一緒にいる教会なんて許せないとか、あるいは、こんな文句ばっかり言っている教会なんて私は絶対もう来ません、というのです。
 どこにいっても「パシャー」選ばれたものという意味がなかなか分からないですね。自分の思惑だけでいつも行動してしまっていて、選ばれたものは神様の思惑の中で、生きていく、こんなことを考えもしません。
 こう考えますと神様が、会わせてくださった、少し酒飲みかもしれないけど、まあ許せる男性ではないかと思えるのです、不平や文句は一杯いうけど、まあ考えてみればこの女性とめぐり合った事素晴らしかったな、とかという視点ですね視点がぐいぐい変わっていくことが大切です。神がめぐり合わせてくださったという信仰の見方が自分の中にしっかりと植え付けられていく、ここから自分の生活の建て直しが始まります。これが感謝ができる状況だといってもいいと思います。
 受胎のその瞬間からこの子供に神の手が宿っている事、結婚して出会っているこの自分の妻、自分の夫この人との深い交わりの中から、新しいいのちが始まること、視点が全然違いますね。過ぎ越していったから、神様が手を下してくださっているのです。ですから自分の思惑だけで生きて行こうとする、これが不信仰なのです。そこに神の手を認めて頭をさげる、これが信仰です。だから、信仰の中に「ベラハー」感謝の祈りがなければ、絶対に信仰はない、といっても言いと思います。
 旧約聖書の話をもっと続けましょうか。40年間砂漠をさ迷い歩いてイスラエルの人は不平を言うのです、選ばれて、そして約束の国に行くのに水がない、ここの水は美味しくないと文句を言います、しかたがないからモーセは3回岩を打ちますと水が出てきます。水を飲んで、水を飲んだからと喜んで感謝するかと思うと、しないんですね。昔エジプトでは「鶉の肉を食べた、あれ美味しかったけどな」と言います、「ここで神様がくれる、なんか知らないけれども白いマンナというパンみたいなもの、あれは味も素っ気もない」、「鶉がほしい、鶉がほしい」と子供みたいに駄々をこねます。
 いくら貰っても、貰っても限りがない自分の欲望に生きようとする、こういう民を引き連れてモーセは約束の地に入らないといけませんでした。大きなモーセの悩みだったと思います。モーセがシナイ山に登って山でお祈りをして戻ってくると、皆がどんちゃん騒ぎをしている、何かと思ったら金の牡牛の像を造ってその周りで肉を食べて踊りまわって楽しい楽しいと言っている。もう‥‥‥忍耐の切れたモーセはカッカと怒りまして山から持って帰りました、10の戒めを書いた十戒の石を投げつけて割ってしまいます。お前達、地獄に行けといった感じだったのでしょう。不満ばかり言っていて何を与えられても文句を言っている、こういう人生から「パシャー」過ぎ越していかなければならないのです。新しい人生に向かって歩まないといけない、それが私に課せられた課題なのですね。
 でも、こんなに不満ばかり言っている民の前に神は火の雲を持って、民の先頭立って歩いたと、創世記が言っております。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱を持って導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が民の先頭を離れる事はなかった」。どうしようもない民であっても、神は捨てない。それは、たった一つの理由です。「過ぎ越した」、「印をつけた」からです。私が洗礼の印を受けたそのときから神が捨てないのです。遠藤周作ではありませんが、「イエス様、もういい。いいかげんやめてくれ」と言うけどあの人は、しつこく私について来る、しかたがないか、あんたと一緒に行くより他にないかとあきらめるのです。遠藤周作流の信仰の表現ですね。
 神様は先頭に立ってもうどうしようもない民と一緒に歩いています。考えてみれば私はどうしようもない民なんですね。本当にどうしようもない。不平不満、過去を振り返ってみてもろくなことがない。会社人間の真っ只中だったかもしれない、学歴社会の洗礼をそのまま受けているかもしれない、そういう中でキリストの価値観などぜんぜん考えてたことがない、その中でも印を受けた私をずうっと導いて、会社も終わり全てを引退し、そして自分の人生を見直す時期になって、今ここにいる。「ベラハーの祈り」、「ありがとう。やっとここまで来れたんですね」、とこういう事なのです。
 60年、70年、80年、そんなに単調だったと私は決して思っておりません。私の人生でもそう思うのですから、皆さんの人生はもっと、単調でない大変な日々があったと、それは信じて疑いません。
 思わぬ事故に遭われた事もあるでしょう。家庭の問題もあったでしょう。子供さんを先に亡くされた方もきっといたかもしれません、今1人になられた方もきっといると思います。自分の思う通りに人生は動かないということをいやというほど味わされているのじゃないでしょうか。こんな私だってそう思う事が何度もあるわけですから、ましてや皆さんはそうだと思います。
生きた人生というのを、掘り下げていきますと、そこに自分が昔から求めていた何かが見えて来るはずです。そしてその何かというのが今はっきりさせていく、これが黙想会なんです。
 形だけのものをしてはいけません。決まったからやっている。或いは、きれいな話しを聞くなんていう黙想会はやめにしましょう。自分をしっかりと掘り下げてみたら、60年70年50年の歩みの中で自分はどこに導かれていったのかを振り返ってみればいかがでしょうか。どんな価値観から、今どんな価値観に生まれ変わろうとしているのでしょうか。
これが、「メタノイヤ」回心ということなのです。
 自分の人生観が会社人間だけだったのなら、物質主義の真っ只中にあって、今もう一度振り返ってみることです。学歴が絶対だと思っていたらふと振り返ってみなければいけない。自分の力で何かを起こしてという人生観から神の手の中に自分を置くというものの見方に変わって行くことです、だてに年をとってはいけない。ここには私と同年代の人達が多いので、そういう面で分かち合えるかもしれないなと思います。
 若かった頃は鼻息が荒く、キリストの言葉を宣教するんだとか言って、色々な事をしたり、押し付けたりしたと、今になって振り返ってみるのです。人はそれぞれ、ぞれぞれの状況で、それぞれの中から自分の人生というのを歩んでいき、それぞれの人生から回答を見つけていくものだと思います。私は沢山の人に出会ったような気がします。沢山の人たちと人生を分かち合った。そういう中から信仰を生きると言うことが何であるかを分かち合う事が出来たような気がしております。いたずらに自分の思いを押し付けたって、人生のある時期には決して通用しない、なにかがあるということです。こんな事をよくわからないといけません。そのためには自分自身が本当に自分が納得する信仰というのを一つ一つ積み重ねていくことが大切です。
 私は今ここで皆さんと黙想して形だけの面白さで興味を引くような話は進めたいとは一つも思いません。人生やはり見つけていきたいのです。義務感だけでやってくるような、あるいはサロン的な教会はいらないと思います。
 自分の人生の一番傷の深いところで神様と出会ったこと、出会えたことへの感謝「ありがとう」いう言葉がいえる、それが「ベラハーの祈り」なのです。
 振り返ってみたら、自分の人生の一番深いところの傷というのは何でしょう。若い人にとってそれは失恋かもしれないし、それは受験の失敗かもしれない、就職についての傷かもしれない、人間関係の深い傷かもしれない、夫婦間の溝かもしれない、親子間のどうしようもない対立かもしれない、ちょうどその時に深く傷ついたその中から、神様に向かって叫ぶ祈り。「神様どうにか………」、これが「ベラハーの祈り」なのです。
 私の人生と深くかかわった祈りが生活の中にある、これが信仰生活です。洗礼という印を受けたものの生活ということが言えると思います。それに到達するまでには、色々な事を経験しないといけないでしょう。聖パウロは「私はうめく」と言っています。聖人である聖パウロでさえ、自分の深みにある罪、過ち、それはパウロが若い時にした教会への迫害、殺人などをさしていたかもしれません。自分の私的な生活でも何かがあったかもしれない、その中から「うめく」と言います。祈りというのは「私はうめく」というのが私の祈りであり、パウロの祈りなのです。アウグスティウスの「告白録」を読んでゆけば、自分が女性を愛したこと、愛した女性と別れなければいけなかったこと、子供を捨てないといけなかったこと、司教になったアウグスチィヌスは「私は自分の過ちを告白します」とうめいています。人生が本当にこう真摯に、こう真剣に見えてくる、こういう生き方があるのです。自分の人生の中で色々な過ちがあったかもしれない。葛藤もあったかもしれない、憎しみを乗り越える事が出来なかった、でも今この時点で、神様がこんな葛藤を与えてくださっている中で「ありがとう」という「ベラハーの祈り」があるのです。
 秋になって豊かな実りを得て、頭を下げるあの稲穂のように、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であり、本当だと思います。歳と共にゆっくりと、ゆったりと謙虚に生きることです。
 最近の教会を見ていて本当にゆっくりと、ゆったりと謙虚になんていうのが許されないような、忙しい活動だけの教会がある気がします。私もだんだんそういう年令になってきたんでしょうか。人生の究極、生きる、死ぬ、この問題を突きつけるのが宗教じゃないかなと、思うようになっています。いかに生きるか、いかに死ぬかということが宗教の究極なのです。
 倣岸に胸を張って、人を軽蔑して蔑視するような高慢心というような態度は決してあってはいけない。どんな所にいても、どんな地位にあっても、こんな高慢な態度は決してあってはいけない。だれにも欠点があるし、あるのが常です。
 「パシャー」「ベラハー」と2つの意味お分かり出来たでしょうか。
 旧約の人々は過越祭、今の復活祭を毎年祝っていました。過越祭というのは食事です。家族全部で、大家族ですから食事をするわけですね。みんなでパンを分けて食べて、葡萄酒を飲んでという夕食のことをさしています。その時に長老が一番若い子供に聞きます、「過越しとは何かね」と、そうするとその子供は「過越しというのは、昔、おじいちゃん達がエジプトで奴隷であった時、神様が天使を遣わして、鴨居に血を塗って、その血が塗られなかったところは殺されたけれども、血を塗った所は救われて、そしてエジプトからこの土地まで連れて来られた、だから、感謝なんだ」と答えます。「パシャーとは、感謝のこと」。「よくできたね。はいパンをあげようね」とパンを分けて、肉を食べて、そしてワインをまわして飲み、これを3回に分けて行うのです。3回「感謝なんだね」と「救われたということに対して感謝することなんだね」、というこれが"最後の晩餐"ですし、聖体祭儀なのです。そのとき神様はあなたに、あなたは何を感謝しますか、自分の人生に与えられた事を感謝しますか。いや一番苦しくてもう耐えられないということを感謝するために捧げますか、ということを聞く、これがミサなのです。
 ミサは「ベラハーの祈り」の頂点と言ってもいいと思います。私たちがミサにあずかると言うことは「パシャー」つまり過ぎ越した、そのために私たちは神に選ばれたことを感謝するのです。一緒に食事ができることを感謝して、ミサに与る、ここにミサの基本があります。だから、司祭が目を上げて「パンを取り感謝を捧げ、割って弟子に与えて仰せになりました」、と言います。その時に一緒に感謝を捧げて感謝するのです。何に感謝するのでしょう。こんなすばらしい女性に出会えたこと、こんなすばらしい男性に出会えたこと、こんな教会でこんな人たちと出会えたことを感謝する、こんな世界にあって食べていける事、云々と感謝の理由はたくさんあります。だからミサのことを「感謝の祭儀」、あるいは「エウカリスティア」と言います。
 主日である日曜日にみんなでミサに与かる、これは感謝するためです。喧嘩するためではありません。分裂するためでもない。一緒に集まって神に感謝を捧げる、これが主日のミサです。大事にしなければいけません。主日のミサがよくできるために、準備しないといけません。歌はとっても大事です。皆で歌の練習をしないといけません。思い切って歌う、本当に神への賛美の歌を歌う、これは基本です。私は自分が行っている教会では、こちらではまだできませんけど若い頃から聖歌隊を非常に大事にしました。子供のミサのときの聖歌もバンドを作って子供達のミサを盛り上げる事とか、信者さんのミサの中でも答唱詩編をどのように歌うか、どんな歌を選ぶか、皆が歌える歌とは何であるか、そんな事を真剣に考えました。毎日曜日のミサとはどんなものであるか、典礼委員会はただ、歌の番号だけを教えるような委員会ではありません。日曜日のミサをどのように生き生きとさせるかを考える、それが典礼委員会の役割です。私は胸を張って仙台教区ではそれが出来たと思っています。頑張ってくれていると思います。仙台教区では司祭がいなくても集会祭儀を信者が行っています。主日のミサをみんなで、出来ない時には主日の集会祭儀、言葉の分かち合い、一緒に歌を歌って、そして集会祭儀者は司教から任命されて言葉を伝える、ということをしております。時々司祭がいる教会よりも司祭が不在の教会のほうがずっと信者が目覚めて、受洗者の数も多いということも知っております。それは、主日の集会、ミサというのを大事にしたからです。
 よろしければ教会の中で自分達の主日のミサということをしっかりともう一度お考えになってみてください。どのようにすれば、このミサが生きるか。どのようにすれば燃え上がるか、どのようにすれば言葉が分かち合えるか、そんな事を少しお考えになって見てください。

親しい祈り
 今朝祈りという話で始めました。普通の自然の自分の人生で出会った感謝の祈りが大切です、という話をしました。
 親しい祈り、と難しい事は何にもいらない祈りというお話をさせてください。
 イエス様は旧約の祈り「ベラハ―の祈り」の中に、親しみのある祈り、「アッバ」ということばを使いました。「天におられる私たちの父よ」とこう言っております。昔だったら「天にまします我らの父よ」ですが、アッバというのは「父よ」ではなくて「とうちゃん」なんですね。おとうちゃん、おやじ、ということになります。子供が「父ちゃん。父ちゃん」「パパ」とよびかけるのと同じです。イエス様は神様に対して「パパ」、「父ちゃん」という優しい、親しい表現を使いました。子供の頃は「パパ」、少し生意気になったら「親父」とかいう言葉に代わってきますが、イエス様が新約聖書の中で変えていったのはここだと思います。神様という概念を変えたのが、イエスです。親父という概念に変えてくれたのです。これが彼の基本だと思います。
 人間と神様との関わりの中で、遠い所にあった距離を、ぐっとこう縮めてくださった、これがイエス様です。その中で、「お父ちゃん」「パパ」「親父」と言って、神様の胸の中にぽんと飛び込んでいく事が大事なのです、これがイエス様の基本の姿勢です。ましてや、父上なんていう感じではないわけですね。
 「お父ちゃん、僕の気持分かっているよね。お願いだよ」と、こんな感覚の祈りがあっていいということです。いつも感謝して「ああ、ありがとうございました」というのもいいけど、「父ちゃん頼むよ」とこういう感覚で祈りをしていけばいいのです。
 私たちの生きているこの場所、これが祈りの世界です。特別に作った場所で祈りをするのではありません。毎日祈る、毎日生きている、そこが祈りの場所です。
 ローテルという人が訳した「無名の順礼者」という本があります。もう、売り切れてないかもしれません。エンデルレ書店から出版されております。ある人が、自分は聖人になりたいと考え、大修道院長の所に相談に行きます。修道院長は毎日ロザリオを100回唱えなさいと命じます、「めでたし……めでたし……、めでたし……」、と唱えますが、なかなか聖人になりません。あと100回唱えなさいと言われて、「はいわかりました」。しかしなりません。そのうちに院長さんが亡くなってしまいます。「困った」。私まだ聖人になってないし、全然駄目だと嘆きます。院長様が残してくれた手引書があったので、「巡礼の手引き」に従って、旅に出て行きます。巡礼の旅に出ていきますと、色々な人に出会います。泥棒に出会って金を盗まれたり、食べるためにアルバイトをして人に使われたりします、"僕は祈りたい、祈りたい、祈りたい"と言っては仕事して必要なお金を貰ったら、森に入ってお祈りをします。お金がなくなったらまた仕事に行きます。宿屋では夫婦喧嘩の場面に会って「やめろ」と仲裁に入ったりと、いろいろな人と出会います。色々な人と出会ってやっと気付く、これが「無名の巡礼者」の面白いところです。最後になって、ああ祈りというのは、特別に場所を作って長く祈っているからではなくて、泥棒に財布を盗まれたその時に祈っていること、夫婦喧嘩の中に入っていったその時に祈りがあること、即ちこの人生の出来事の中で祈りがあると分かるのです。今の人生を生きることが聖人になることだと、理解したのです。
 大事なポイントです、簡単に言っているようであっても、大切なのは自分が生きている所を本当に祈りと信仰の場にする事を述べています。離れた所で聖人になろうという見方をしてしまう危険があります。そうではないのですね。自分の生活と離れた所で聖人になろうとしている人達は不幸です。例えば結婚して、結婚生活しているのに自分はシスターになりたかったんだと考えることです。シスターの生活のような生活をしても、これは不幸です。駄目ですね。神父になって、独身の生活を生きると誓っているのに、そうでないことに憧れたら、不幸です。自分に与えられたその人生を、自分で背負っていく、そこに祈りがあります。
 私はサレジオ会という修道会に属しています。サレジオ会の霊性は、日常生活を強調します。聖人になるために、イエズス会の霊操を30日間毎年する必要があると考えていません。私たちの霊操で大事なのは仕事をすることです。仕事そのものを祈りに変える、これが私たちの霊性の根本です。
 私の修道会は教育修道会ですので、学校で教えることが仕事でした。若い頃先輩のサレジオ会の神父様たちから教えられた事は、教室に、授業に入る前に必ず祈りをする事ということでした。又、教室から出て行く時すぐ出て行かないで、学生の間を通って後ろから出て行くようにと、また出たときには子供達のために祈るということを教えられました。何度も何度も教えられたことでした。この授業があなたの祈りなのだということです。この子供に英語なら英語を教える、これが私の祈りなのです。夜寝る前にベットの側に跪いて3つめでたしを唱えなさい、これがサレジオ会に入って最初に教えられたことでした。ほんとうに短い時間でいいのです。めでたしを唱えて、それで「おやすみ」、これでいいのです。長い祈りはいらないと言う見方を教えてくれました。信者でなかった私は「その時、信者の生活ってそんなものかな」と思いました。夜寝る前に3つ「めでたし」を跪いて唱えればよいのです。実際、それでよかったと思います。特別の祈りを、長く祈ったから聖人になるのではありません。何度も何度も短い祈りを繰り返していたら、それが本物になります。自分の生活の中で繰り返していたら、本物になるのです。
 今日、青少年委員会があって、すぐ帰らせてもらいたいと思っています。私が"ニョッキ"を作ることになっているからです。ジャガイモを煮てくれていると思うので、ジャガイモとメリケン粉を合わせて、のばしてそれをゆでます。それを作りながら、今日ここに来る人達のために喜んで捧げてみようと思う、これで十分です。来る人たちのために、私は1時間祈りましょうというのじゃなくて、1時間御飯をつくって待つ間祈りましょうと、いう考え方です。これが現代の霊性です。現代の霊性とは、何か遠い所に離れて、修道院の中に入って、そしてその中でお祈りをすることにあるのではありません。現代社会の真っ只中に生きていることが、聖人になることです。これを逃げたら聖人にはならない。
 布を織る時だって縦糸と横糸を交叉させながら織り上げて行きます、それをきめ細かくやればやるほど綺麗に出来上がるといわれております。横糸と縦糸の小さな祈りがうまく、そして積み重ねられたら、とっても素晴らしい人生になります。そしてやさしい、とってもやさしい霊性になります。難しくする必要は全然ありません。何か、特別に何かということではありません。普通のことを神様に向って行っていくことです、こういう霊性が大事だと思います。
 マザーテレサはこのように言っています。「私たちの生活は祈りによって、織り上げられた物でなければなりません。理解する事ができるため、そして分かち合う事ができるため、人生はキリストによって織り上げられないといけないのです」。マザーテレサ、忙しい人でしたよね。でも自分の仕事そのものが自分の人生を織り上げていきました。彼女の仕事を織り上げていったのは、キリスト様その人だったのです。
 信仰を持っている私たちはまず仕事を大事にしないといけません。自分が主婦なら、主婦の仕事を、自分が会社で責任を持っていればその責任を。逃げてはいけません。変な形での祈りなんかに逃げてはいけない。仕事を祈りに変えるというのが現代の霊性です。
 わたしがサレジオ会の神学校の門を潜った時、あなたはまだ洗礼を受けて3年経ってないので、神学校に入れませんと断られました。志願院というところに行って、毎日畑の仕事をしていました。どうやったら神学校に入れるかなって思っていましたが、その時の院長が、チマッティという髭の神父さんでした、彼は凄い音楽家でした。よく覚えています、そのときもう80歳近く、或いは今の私よりも少し上位の年令だったのでしょうが、彼の弾くオルガンの音は忘れられません。本当に綺麗でした。それは祈っている人のオルガン伴奏でした。彼のオルガンには、祈りの音色がありました。彼の作った歌を今の若い神学生が弾いていても、あのチマッティ神父の、あの時に聞いた伴奏にはとてもじゃないけど及ばない。即ち同じことをしているけど、本当にそれを祈りをもってしている人と違うのです。今の私よりも年上のその時の院長は、若かった私たちが、昼休みには野球をしたり、バスケットボールをするとき、その頃神学生一杯いましたが、80才近い院長は若者達がやっていることを見ていました、そして笑ったりしている。ホームランを打って帰ってきたら手をたたいたりしてくれました。まだ高校を出たばかりの志願者でしたが私は、毎日畑の草取りをしていました。80才近い院長が来て一緒に草取りをしてくれていました。そのとき分かりませんでした。今、分かるのです。神学校に入ったとき、炊事の支度をしたり、皿洗いをしていました。インゲン豆の筋を剥いていると、院長が我々若い者と一緒にむいている、何という事もない、笑いながら皿を洗うのです。傍にいて皿を拭いているのです。偉い学者で、偉大な音楽家で、あらゆる名声を持ち、大分教区の司教をしていたその人が、19才20才の我々と一緒にジャガイモの皮を剥いたり、草をむしったりしている。今でも忘れません。これが霊性だと思います。なんかこの世と離れた所でお祈りして、きちんとした服装をしているのと、一寸違うのです。
 何かあると笑いながら「ベーネ、ベーネ」"いいよ、いいよ"と答えます。手紙を書いたら返事はいつも「アバンテ」、イタリア語で"前進"とかいてよこしました。廊下で会って、青春の悲しみとか何かで、目を伏せていると、近づいて来てポンポンと肩をたたき、イタリア語で「アレグロ」と言うのです。「もっと若者らしく楽しく」ということです。今思い出したら、この霊性が分かります。皆さんの家庭にあって普通の霊性が大切です。「僕は主人だから皿なんか洗わない」「男子厨房に入らず」なんて言っていないで、一緒に奥さんとやってみたらどうですか。主人が車を洗っているなら「あれは主人の仕事だ」なんて言わないで「じゃあ、ちょっと一緒にやりましょうか」これが祈りなのです。祈りと霊性、今、生きている社会、今、生きている現実をどのように生きるかを祈りに変える、これが大切です。
 私は、こういう霊性によって青春時代を育てられたのを、今になったらとっても感謝しております。人間性豊かで、そして心優しい霊性を教えて頂いたことに、チィマティ神父様をはじめサレジオ会の神父様たちに、とても感謝しております。
 例えば、チィマティ神父さんですね、「あーあー」という大きなあくびをしていても、イタリア語で「ジェス」というのです。あくびをしても最後には「ジェス」でしめくくるのです。あくびも祈りにかえるのです。亡くなる時,最後のベットで「ジェス、マリア、ジェス、マリア」と呼んでいました、日本の殉教者達は死ぬ時に「イエズス、マリア、イエズス、マリア」、これを連呼していました。全く同じことができます。簡単なことです。バスに乗るときに「うんとこさっさジェス、うんとこさっさマリア」と言う感じなんですよね。あの人、年を取って可愛そうに、降りる時大変だろうな、イエス様助けてやってくださいと、自然にこういうことができるために何回も自分の生活の中で、繰り返しながら祈りに変えていく、訓練が必要です。
 サレジオ会にドミニコ・サビオという15才の少年聖人がいます。先生のヨハネ・ボスコは話の中で「みんな聖人にならなければいけない」と話しました。ヨハネ・ボスコがいう聖人とは、普通の生活を大事にする人の意味でした、若かったドミニコ・サビオはその意味がわからないで「私は聖人になりたいと」考え、最初にしたのはご飯をあまり食べないことと、お御堂で長い聖体訪問をすることでした。聖体訪問の時に祭壇の裏に行って、長くお祈りして浮上したといわれます。先生のドン・ボスコは彼を呼んで「おまえはバカだ。そんな浮上することなどやめなさい」と叱ります。「長い祈りはするな。お御堂の中にも入らないでいい。お御堂を開けて顔だけ出して、「ジェス」と「イエス様はこんにちは」「ボンジョルノジェス」と挨拶すればよいとすすめたのです。もっと大切なのは運動場に行ってみんながサッカーしてるから、サッカーを遊びなさい、これが聖人になる道だというのです。ドミニコ・サビオは熱心に駆られて聖人になりたいということで、「私は朝はパンと水だけしか食べません」と決めます。先生のドン・ボスコは彼を呼んで命令します、「朝必ず牛乳を温めて飲みなさい」と。トリノの冬は寒いのですが、シーツ一つで寝るとドミニコ・サビオは決めます。先生のヨハネ・ボスコは彼を呼んで「聖人になりたければ毛布を2枚つけて寝なさい」と命令します。特別の事をしてはいけないのです。他の子供と全く同じ事をすることが大切なのです。長くお御堂でお祈りするかわりに、運動場に行って、周りに遊ばない子供とか、淋しい子どもがいたら声をかけてサッカーをするように言いなさいとすすめます。これがドン・ボスコが考えた聖人になる道なのです。
 お分かりですか。簡単なのです。実に簡単なのです。私たちの教育目標もこれです。サレジオ会に入って何度も聞かされたのはこれです。教育の現場で教えられたモットーは「愛するだけでは足りない。愛されないといけない」です。あなたが愛されて、初めてあなたの言葉は人に通じるのです。愛される先生になることが大切です。愛されるためには自分の才能を人のために使わないといけません。サッカーができるならサッカーを一緒にするのです。バイオリンが弾けるなら、バイオリンを人のために使はないといけない、鉄棒ができるなら鉄棒を人のためにするのです、大車輪を子供と一緒にするのです。自分のためにするのではありません。ギターができるならギターで自分の仲間を作ってみんなを喜ばせることができます。こうして子供達は先生が自分にもっと勉強してもらいたいとか、もっと祈りに来てもらいたいという、先生の気持が分かるようになります。そうすれば自分から来るようになります。大事なのは先生が彼らの中にいることなのです。
 私たちサレジオ会では、長い祈りはいりません。むしろ短い祈り、しかし徹底した仕事の中での祈りを大切にします。 同じことをみなさんにも言いたい。なんの気張る必要もありません。何の心配も要らない。自分の生活のそのままを受け止めたところ、そこから祈ったらいいということです。
 納得されない方がいるかもしれませんので、実を言いますと第3番目にもう1つ話があると申し上げておきます。
 それは「離れて祈る」ということです。即ち、特別にある時期は自分の時間を持たないといけないということです。今日は時間の関係上それができません。
 私たちは、サレジオ会入会と同時に教育現場に行かされます。その時、どのように注意をするかということを教えられます。例えば子供に問題行動がある時、1時間2時間カウンセリングをしたり、座らせたりすることがあります。そうすれば子供は聞いて変わるとよく言われます。私が教わったのはちょっと違います。
 例えばあまりよくないのがいると、ボールを蹴りながら遊んでいる最中に彼の足を蹴って、ついでに尻も蹴って、「おまえ何をしたんだ」という、ひょっと顔を見たらもうそこにいないというカウンセリングです。又、走っているとどこかから来て、尻をぽこんと蹴飛ばして「分かったか」と、こんなふうなカウンセリングがあるということです。長々しい説教はしないということです。
 私は養護施設で院長の仕事をしておりました。県で手が付けられなくて、教護施設に入るはずの子供達が、男ばっかりで経営している修道会の施設に送られてきました。問題の多い子供達が多かったということです。中高生で、したがって問題をいっぱい起こします。私は院長ですので、なんども警察に行っては頭を下げ、子供達を引き取りに行きました。
 ある日、中学生3年生の男の子が、物干し竿にかかっていた女性の下着を盗んで警察に呼ばれました。懇々と諭されて帰ってきて、職員会議でどうするかということになり、「院長さんがちゃんと注意してやってくれ」といつもの結論です。私は呼び出して説教したりするのは好きではありません。幸いにそのころ、毎週土曜日風呂焚きをやっていましたので、薪を割って風呂を沸かしていました。薪割り担当もしていました。いつもそうしたんですけど、いろいろな薪を割って薪を火にくべてると、顔を見なくて子供と話すことが出来ます。隣にいるから顔を見ないで「おまえな。もうするなよな」と言えます。くべ終ったら銀紙に芋でも包んで炭火の中に入れて、焼き芋にして、出来たら2人で分けて食べる、こんなことをしていました。
 次週の土曜日、その卒業生達が私の古稀の祝い、70才の祝いをしてくれます。彼らは私がミサ中、何を説教したかとか、学校の道徳の授業でどんなはなしをしたかとか、覚えてないと思います。説教なんか一つも覚えてないと思います。でも一緒に焼き芋を分けて食べたということは忘れていません。今度の土曜日必ずその話が出ると思います。焼き芋食べたとか、一緒にラーメンを食べに行ったこととか、一緒に警察に行ったこととか、彼らは忘れてないと思います。大事なのはこういうことです。私は威張ったはなしをしているみたいで申し訳ありませんが、特別の祈りだけ、教会での祈りだけが全てではありません。自分の仕事の場こそ祈りの場であり、そここそ信仰をかける場所であるということなのです。
 家庭の主婦は、家庭を疎かにして教会の仕事だけをしているのは本当ではない。社会的な仕事をしている人が、そこをきちんとしないで教会の仕事をしているのもおかしい、私にとって一番大事なのは、自分が生きているその場所の中で、自分がどのように生きるかというのが、一番大切な霊性であり、大切な祈りなんだということです。
 例えば私が今高松教区にいるのに、仙台の時の鶉がよかったな、なんて見方をしている限り駄目なんですよね。仙台のお酒はすばらしかった、おいしかった。とか、仙台の人は本当によかったとか、これは駄目なのです。霊性が足りない、祈りが足りないといえます。毎日は戦いです。特別の場所で、特別な仲間と一緒にいるから、信仰が深まっていくのではありません。自分の場所をどうやって生きるか、これが信仰の場所なのです。
 おわかりでしょうか。
 それでは毎日のだけで、他に何もしなくていいと言っているわけではない。離れてきちんと自分を見直す時を持たなければいけない。それについては、今日述べる事が出来ないのでおゆるしください。
 黙想とは何か、念祷とは何か、特別な時間とは何かというテーマは別の機会を設けて下さい。よろしければ、それについてはいくつかの話を「朝の光の中に」載せてますので、それも合わせて読んでくださればいいかなと思います。
 形だけの信仰にしないで自分の生活を高める、祈りある生活を大事にしていってください。特に高齢の方々がおられますし、私自身も今感じていることは、これだけ信仰の生活をしてきたなら最後にもっと豊かな、もっと人としての潤いのある、こういう人生の終わり方をしたいと、つくづく思います。
 そのために信仰は大きな励みになります。そうでない信仰は、やはり偽りだと思います。本物ではないと、いう気がしてなりません。


      ※この文章は溝部司教様の校閲、発表のご認可を得ています。